テニスで手にする夢への軌跡

テニスをはじめた息子たちを応援する父親として、またジュニアスポーツに携わる大人として“自分ができること、感じること”を。

「“指導者”を考える」(前編)

錦織選手をはじめ、テニスのトッププロ選手たちの活躍もあり、スポーツを始める時にテニスを選ぶという子どもたちが増えているようです。

 

 

もちろん、うちの息子たちもその口です。

 

 

彼ら、彼女らは将来の成功を夢見て、スクールなどに通い日々努力を積んでいることでしょう。そして、その子どもたちを支える多くの親御さんたちも心血を注いで子どもをサポートし、彼ら、彼女らの健やかな成長を願って止まないことと思います。

 

 

さて、テニスに限らず、どんなスポーツにおいても、子どもたちがスポーツと出会い、また、より高みを目指す上で避けては通れないものがあります。

 

 

それは「指導者」の存在です。

 

 

指導者とひと言で言っても、様々な立場、様々なタイプの人間が子どもたちに関わることになります。

 

 

そして、この指導者の存在こそが、子どもたちの将来を左右する大きな要素に成り得ることは、ほぼ間違いありません。

 

 

例えば、錦織選手は小さい時から才能に溢れ、その才能を見抜いたコーチが自らプライベート指導を買って出たという話があります。

 

 

コーチが子どもの特性や性格を理解してくれて、その子により適した指導を行ってくれることは、環境としては申し分ないと言えます。

 

 

しかし、すべての子が、そのような恵まれた指導体制の下でスポーツに取り組めるわけではありません。むしろ、そうでない子の方が圧倒的に多いのが現実的だと思います。

 

 

では、そのような“そうでない”大多数の子どもたちが夢を諦めなければならないのかと言うと、そうではありません。

 

 

近頃はひと昔前に比べれば、スポーツにおける指導技術は格段に上がり、指導者の質という面で見れば、いわゆる“体育会系”の指導がまだ幅を利かせていた我々の学生時代に比べれば別物と言っても過言ではありません。

 

 

多くのスポーツ(テニス、サッカー、スイミングなど)のジュニア育成に「指導者資格」が取り入れられ、今では街のスポーツクラブなどでも勉強を積んだ指導者が、より質の高い指導を行ってくれています。

 

 

“プレーヤーズファースト(選手のことを第一に考える)”といった言葉も広く浸透してきているように、まずは大人(指導者)が変わり、価値観を進化させることで子どもたちに良い影響を与える指導者が増えてきています。

 

 

しかし、その一方で、これは親である我々が、スポーツを楽しんでいる、または頑張っている子どもたちを守るために認識しておかなければならない問題があります。

 

 

それは、旧態依然として、最近でもニュースで取り上げられる「悪しき慣習=体罰や軍隊式の過酷訓練(スポーツとは言えない)に重きを置いた価値観」または「勝利至上主義・競技志向至上主義(競技が上手な者が強い、そうでない者が弱いという価値観)」から抜け出せず、古い価値観の世界に取り残されている人間(もはや指導者ではない)がまだ多く存在しているという事実です。

 

 

彼らは、自身が(おそらく)そうされてきたように、子どもたちを自らの立場や振る舞いで威圧し、鍛錬とスポーツを混同し、子どもたち(選手)を苦しませ、追い込むことが成長への近道だと信じているのでしょう。

 

 

もちろん、スポーツにおいて精神面での成長は不可欠ですが、それは選手や子どもたちが自ら選択し乗り越えていくものであって、周りの大人や指導者が強いるものではないのです。

 

 

また、指導者の自己満足(勝利欲求・成功欲求)や大人の都合で、自分のやり方についてくる子ども(強制的にそうさせている可能性も高いわけですが)だけを優遇し、そうでない子どもたちの居場所を奪うような人間も未だに存在しているのです。

 

 

 

〈後編へ続く〉

たとえば、こんな書籍も出版されています。残念ながら、これも現実のようです。